SPC一筋で所員300名規模まで上り詰めた異色の事務所が
今、新たなフィールドに挑む理由とは?

東京共同会計事務所

東京共同会計事務所 代表パートナー・公認会計士・税理士 内山 隆太郎 先生 × 株式会社ビズアップ総研 代表取締役・税理士 吉岡 高広 

東京・丸の内に、「SPCの管理」という極めて特殊な業務で所員300名規模まで上り詰めた事務所がある。内山隆太郎代表が率いる東京共同会計事務所だ。30年以上にわたる専門特化の末、完成形とも言える洗練された業務フローを確立した一方で、長らく国内トップクラスのシェアを維持してきたため、これに起因する課題も顕在化してきている。こうした課題をクリアするため、同所では今新規事業への取り組みを加速しつつあるという。今回のマネジメントビジョンでは、この異色の事務所が大きく飛躍してきた要因や今直面している課題、そして次世代に向けた新たなチャレンジについて、内山代表に詳しく話を伺った。 【BIZUP 2025年3月号掲載】

1993年、前職の先輩で師匠の渡辺隆司先生と共同で創業

吉岡高広(以下吉岡)はじめに、独立開業に至った経緯を教えてください。

内山隆太郎先生(以下内山):1993年に、私の師匠である渡辺隆司と二人で創業しました。私が初代というわけではなく、年次で考えると1.5代目という方が相応しいかもしれません。当時、私と渡辺は中央クーパース・アンド・ライブランド国際税務事務所(現・PwC税理士法人)に所属しており、渡辺がパートナー、私はマネージャーというポジションでした。独立の直接のきっかけは、渡辺から声をかけられたことです。当時、私には会計事務所を開業する発想は全くなく、海外のビジネススクールに入学し、そこで自分のやりたいビジネスを探そうと考えていました。

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ところが、ハーバード、スタンフォードなど名だたるビジネススクールを受験したのですが、残念ながらどこにも合格できず、どうにも決まりが悪い状況になってしまったのです。そんな時に渡辺から「各種学校に行くくらいなら、いっそ独立しよう」と誘われ、それで創業を決意しました。夏の暑い日に日比谷公園に呼び出され、そこで独立の話を聞いたのを今でもよく覚えています。

吉岡:現在、渡辺先生はどうされているのですか。

内山:現在は名誉顧問という立ち位置で、週に2日ほど顔を出しています。私より一回り以上年上ですが、同世代との共同経営は上手くいかないことも多いようですし、歳が離れていて本当に良かったです。それに、個人的には二人で創業できたことが、現在の成功にもつながっていると思います。というのも、当時はまだ20代でしたから、自分自身の中に確固たる技術があったわけでもなく、渡辺におんぶに抱っこの状態でした。また、当時、自分の仕事は自分で取ってくる営業スタイルだったのですが、提供する業務の品質は、渡辺が私の分までしっかりと管理してくれていたのです。会社の運営、たとえば帳簿付けなども含め、大体のことは渡辺が面倒を見てくれていたので、独立開業当時は“渡辺事務所”という雰囲気が強かったです。

ストック・ビジネスへ移行するため
SPCの管理業務をスタート

吉岡:東京共同会計は、SPC(特別目的会社)を活用したストラクチャード・ファイナンスを中心に事業展開されていますが、この事業は開業当時から手掛けていたのでしょうか。

内山「半分YES」です。私は元々ファイナンス方面の業務を得意としていたのですが、当時はまだ金融商品に関する会計基準が整備されていなかったので、新しい金融商品を組成した場合の会計・税務がどうなるのかといった、主にそうしたアドバイスを行う業務がメインでした。そんな中で、事案の一つとしてSPCが登場することはあったのですが、現在のようにSPCの管理をメインに行っていたわけではありません。ただ、その頃は同じような業務に精通した専門家が少なかったので、実はそれなりの売れっ子だったのですよ(笑)。

吉岡:先生がバリバリ働いていた姿が想像できます。そうでなければ、ここまで事務所を大きくすることは絶対にできません。元々はSPCをはじめ金融商品に関するアドバイス業務が中心だったとのことですが、その後、管理に特化されたのはどうしてですか。

内山:当時は、クライアントの依頼に応じて会計・税務意見書を書くことがメインだったのですが、この業務のフィーは、1案件につき良くて100万円程度でした。ところが、同じ取引に参加している弁護士の報酬は、少なくとも600万円、多い時は1,000万円、2,000万円という金額にもなっていたのです。正直、自分の方が案件をこなしているし、専門性も上だという自負があったので、「これじゃダメだ」という思いが少なからずありました。そこで、新しいビジネスモデルを考えた結果、思いついたのがSPCの管理業務だったのです。SPCは、1件1件のイニシャルフィーは決して高くないのですが、ひとたび組成すれば、イグジットまで5年から7年は取引が続きます。「管理報酬を×5、×7でいただけると考えると、ビジネスとしては悪くない」。そう考えたことが管理業務をスタートしたきっかけです。

吉岡:それまでスポットで報酬を得ていたところ、管理業務を請け負うことでストックビジネスに変えたのですね。ところで、SPCの管理業務とは具体的にどのようなことをされているのですか。

内山:意外に知られていませんが、司法書士事務所、会計事務所、信託会社の業務を複合的に行っているイメージです。具体的には、SPCを設立することから始まり、SPCも会社ですから各種の法務事務があります。そして、会社ですから会計や税務、つまり記帳や決算業務が発生します。それから、SPCは投資のビークルとなる法人ですから、お金を受益者に分配する資金業務があります。これらを合わせたのがSPCの管理業務と呼ばれているものです。さらにプラスして、会計や税務上の取り扱いに関するアドバイス業務、取引が一定の定められた前提通りに行われているかチェックする監査のような業務も提供しています。

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リーマンショックで同業他社の撤退が相次ぐ中、
踏み止まったことで事業を拡大

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吉岡特殊な業務をメインとされていますが、案件はどのように獲得されているのでしょうか。

内山:営業はディフェンシブなスタイルです。スキームが組成でき、しかも管理事務まで安定的に受託できる事務所は私たち以外にさほど存在しません。いわば“寡占”の状態ですから、これまで積極的に新規開拓をする必要がなかったのです。ただ、現状はそれでも問題ないのですが、今後のことを考えると少し危機感を抱いています。我々が組成したSPCの第1号は1995年に遡るのですが、それからほぼ30年、ビジネスモデルを変えずにここまでやってきました。これができたのは、国がお金を刷り続け、金利が長らく下がり続けたからです。

低金利、つまり金余りの状態で、しかも資産価値は上がりますから、2000年代中頃までファンドビジネスは隆盛を極めました。その後、リーマンショックで一時下火になったのですが、同時に同業他社も極端に減ってしまったので、下火になってもそこに留まった私たちには、変わらず多くの仕事が舞い込んできました。

吉岡:残存者利益を存分に享受することができた、ということですね。

内山:はい。単純に残っていただけなのに、自然とビジネスが膨らんだ。そのようなイメージに近いです。このビジネスを立ち上げた当初は、まだ取引の仕組みも固まっていなかったため、「どうやってSPCのスキームを組み立てると良いか」というご相談が多かったのですが、現在は、制度が細かく複雑になったとはいえ、スキームそのものが大きく変わったわけではありません。つまり“入り口”であるコンサル的な業務の割合が減り、処理的な管理業務ばかりになってしまいました。その結果、ものごとを組み立てるという意味でのエンジニア的専門性が損なわれているように感じています。また、恵まれたビジネス環境に長く浸かっていたため、その弊害として、残念ながら所内に営業の文化が十分には育まれていません。もちろん、所内の努力を否定するわけでは一切ありません。でも、やはり環境のインパクトは大きかった。「営業をしてお客様を得る」という経験を持つ人材、その苦しみと楽しさを知っている人材が、一般の企業に比べるとずっと少ないように思います。ある意味30年勝ち続けているビジネスを持っているので敢えて冒険しなくてもいいのでは、という疑念が絶えず起こってしまうと言ってもいいでしょう。贅沢な悩みですが、この点を何とか変革していかないと急激な時代の変化に対応できないような気がしています。

吉岡:長く続けてきた弊害が顕在化する一方で、長く続けたことで身についた“強み”もあるのではないでしょうか。

内山:確かに、このビジネスモデルを突き詰めることはできました。たとえば、今現在のSPCの管理業務はまだまだ労働集約型のビジネスなので、労働生産性の高さが利益に直結します。この点、弊所では徹底的に分業化を進めたことで、この分野では圧倒的な優位性を確立することができました。弊所の分業モデルは、この業務における完成形に近いと思います。

吉岡:今、一般的な会計事務所でも分業化が進みつつありますが、東京共同会計では、SPCという特殊なフィールドの中でそれを成し得ることができたのですね。まさに専門特化の賜物だと思います。なぜ分業化に踏み切られたのでしょうか。

内山:きっかけはリーマンショック直前のSPC過熱期でした。案件受託数の増加に対して人の採用が後手に回り、来る日も来る日も残業しなければ仕事が終わらない。一度受けたSPC管理は止めるわけにはいきませんから、コンサルティングを捨ててでもSPC管理をやり続けました。さすがに仕事の単調化も否めず、2006年、2007年は弊所の歴史上、最も人が辞めた時代でした。現場はずっとギリギリで回っていたのですが、ある日一気に均衡が崩れ、退職者がさらに続出しました。業務の進め方を大きく見直したのはこの時です。幸か不幸か、そのタイミングでリーマンショックが起きました。売上も3分の2くらいまで落ち込む苦しい時期でしたが、管理案件が減少したことで業務が落ち着き、業務改善に取り組む時間が十分できました。とても大変な時代でしたが、今考えるとラッキーでしたね。リーマンが起きず過熱した状況が続いていたら、もしかすると、事務所はかえって立ち行かなかったかもしれません。

吉岡:それだけ苦しい中で、SPCから撤退するという選択肢はなかったのですか。

内山:私たちはこの分野のパイオニアですから完全にギブアップするつもりはありませんでしたが、正直縮小均衡することは考えました。それでも続けられたのは、まさに運や巡り合わせのおかげです。実は弊所は、大企業が組成に関与している案件を多数手掛けていたのですが、これに本当に救われました。ベンチャー企業や外資系不動産投資管理会社が組成した案件では、SPCが保有する不動産価値が下がれば、当たり前ですがSPC発行証券の投資商品としての価値も下がります。ところが、大企業案件の場合、SPCが保有する不動産の価値が下がっても、コーポレートクレジット(企業の信用)があるため、大企業が何とかしてくれるだろうとSPC発行証券の投資商品としての価値が維持されたのです。当時の我々は人手不足におちいっていたため、ベンチャー企業や外資系不動産投資管理会社の案件への関与を少なくせざるを得ず、大企業案件に集中したのですが、その結果として、リーマンの時でも相対的に管理していたSPCに波乱が少なく、事業を撤退するまでには追い込まれませんでした。

吉岡:苦肉の策として選択と集中という戦略に舵を切られ、それが功を奏したのですね。ところで、SPCの管理業務の分業とは、具体的にどのようなものなのですか。

内山:すごく大まかに言うと、定型化できない業務はフロントが行い、定型化ができる業務はすべてバックエンドに流しています。先にお話しした通り、管理業務には「会計・税務」と、法務・資金などの「会計・税務以外」があるのですが、まずフロント担当が「会計・税務」と、「会計・税務以外」の二人います。このうち「会計・税務」は3階層に分業されています。すなわち、お客様対応をするフロント担当、その下で記帳処理を行う記帳担当、それから、我々は「統括」と呼んでいますが、当該ラインの業務をチェックし、高次の最終判断をする担当です。一方、バックエンド部隊については、資金決済、法務手続き・税務届出、押印作業など、業務ごとにラインがあり、それぞれ違う担当が業務を行っています。会計・税務のフロントは有資格者がほとんどで、同業他社に比べても資格者の割合は高いと思います。ここが弊所の強みですね。一方で、バックエンドは資格者に限らず、幅広い人材が活躍しています。

吉岡:特殊業務を専門とする事務所ですから、穿った見方をすると、有資格者の独立開業で人員不足に陥るリスクが小さく、安定していると考えます。これについてはいかがでしょうか。

内山:そうした側面は確かにあるでしょう。しかし反面、リクルートという観点では大きな障害となっています。弊所の業務は「ここでしかできない仕事」ですが、言い換えると「潰しが効かない」ので、キャリアとして魅力がないと思う人がいてもおかしくありません。ただ、近年は「企業価値担保融資」という制度が法制化されスタートを待っていますが、これなどは、不動産や設備などの有形資産のみならず、ノウハウやブランド、知的財産といった無形資産も含めて企業の持つアセットを総合的に評価し、それら全てを担保として行われる新しい融資制度です。実はこの制度、我々の世界で以前流行った「ホール・ビジネス・セキュリタイゼーション(事業証券化)」という考え方とよく似たところがあります。こちらは読んで字の如く「ビジネス全体を証券化する」という証券化スキームの一種ですが、両者には担保とされる事業価値の本源的部分をSPC的なハコに切り出すなどいくつか共通点があるのです。また、資産承継対策の場面では、オーナーが所有する資産管理会社がいわゆる土地特(土地保有特定会社)に該当することを避けようとすることがありますが、このためのスキームとしてSPCへ資産を売却するケースもあります。このように、我々が持つノウハウは、発想次第でさまざまなシーンに応用が効きます。近年は、今お話しした「企業価値担保融資」と「ホール・ビジネス・セキュリタイゼーション」の関係のように、「一般的金融の世界が、証券化の世界に近付いている」ので、「我々の技術は潰しが効かない」という考えも、まもなく過去のものになるかもしれません。

吉岡:これまで東京共同会計の所員が身につけてきたスキルは、今後、間違いなく社会的に広く求められるスキルになるのだと思います。ちなみに、入所の段階でSPCに一定の知識がある方が多いのでしょうか。

内山:いえ、そういう方は圧倒的に少ないです。

吉岡:ということは、内部でしっかりと教育をされているのですね。

内山:はい。所内研修も独自のプログラムで入念に行っていますし、外部研修についても、勤務時間中に受けるものであれば、受講料の9割を補助しています。

吉岡:所内には見事なライブラリーがございますが、まさに教育に力を入れている象徴のようにも見えます。

内山:おっしゃる通りです。創業した時に、渡辺と「日本一の図書室がある事務所にしよう」と決めたので、とにかく蔵書の充実にはこだわっています。やはり我々は勉強して“なんぼ”ですから。最近はデジタルの方が便利とおっしゃる方も増えましたが、私は直感的に、紙で勉強する方が知識がしっかりと定着すると思っています。

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いずれ来る準大手時代を見据え
One and Only な事務所へ

吉岡さて、ここからはビジネスの状況や、今後の展望についてお伺いしたいと思います。現在300名を超える所員を抱えていらっしゃいますが、売上・利益の状況はいかがでしょうか。

内山:明確な数値は非公表なのですが、2024年は前年比約10%の成長率を達成しました。また、同規模の事務所と比して、クライアント1件あたりの売上や、分業化によって高い生産性を実現しているので、利益もかなり大きいと認識しています。
ただ、売上や利益はさておき、所員数で言うと、私たちは近く準大手というカテゴリに分類されることになるでしょう。実は、私はここに危機感を持っています。お隣の弁護士業界では、10年ほど前は業界1〜5位と6〜10位の間に明確な差はありませんでした。ところが、いつの間にか5大事務所という呼び方が定着し、業界5位と6位の間には大きな差ができてしまったように思います。会計業界も、BIG4は別格として、“国内何大事務所”と“それ以外”とでは、今後、仕事の回り方や、回ってくる仕事の質が全く異なるレベルになり、6位以下では生き残れない状況がやってくると予想しています。ですから、来るべき大手・準大手が区別される時代に備え、私たちは一癖も二癖もあるOne and Onlyな事務所にならなければなりません。

吉岡準大手から大手になるため、あるいはOne and Onlyな事務所になるためには、SPC関連以外のビジネス展開が重要になるのではないかと考えます。何か、新たに取り組まれているものはございますか。

内山:まず私は単純に大手になるということに全く魅力を感じていません。もっともOne and Only路線でも新しい分野への取り組みは不可欠です。SPCのビジネス自体は簡単にはなくならないと思いますが、極めて特殊な事情の上に成り立っているビジネスでもあるので、法改正など何らかの理由で一気に崩壊するリスクがないわけではありません。ですから、事業の多角化を進める必要があるのですが、新規事業を検討していると、所内から反対の声が出たり、なかなか上手くいかないものですね。でも、新しい何かにチャレンジすること、違う何かをやり続けることはDNAとしても残していくべきとても大切なことだと考えています。SPC業務の周辺ですと、方向性の一つとして考えられるのは「金融事務」です。現在、私たちが取り扱っているSPCは、いわゆるオルタナティブ投資と呼ばれる金融商品の一つですが、そこから発展して、普通株式や債券といった有価証券に投資する証券、投資信託などの投資運用会社のバックオフィス業務を請け負っていく方向性です。ただ、オルタナティブ商品のSPC業務が税理士・会計士の応用フィールドである一方、投資運用会社の事務は、金融庁のライセンスを必要とする全く別のフィールドです。所内には「金融事務ならば」と言ってくれる資格者の所員もいますが、これについては慎重に見極めなければなりません。と言うのも税理士・会計士という強みを十分に活かせないからです。
それから、国際税務も今後チャレンジしたい古くて新しい領域です。といっても、国際税務で問題になるテーマのうち、国内本社の方から解決できるのはせいぜいタックスヘイブン税制か移転価格税制くらいで、それ以外のほとんどの問題は外国で発生していることが多い。つまり、私たちが海外にベースを持っていないと、クライアントの本当のニーズを満たすことができません。日本企業向けに国際税務で勝負するならば、海外インフラが必須だということになります。このように本気で取り組もうとすると、まずは売上を度外視してでもインフラを整える必要があるのですが、こと国際税務については、それだけの覚悟を持ってチャレンジしてみようと思っています。私自身、国際税務が得意でもっと仕事をしたいと以前から考えていたのですが、アウトバウンド方向の仕事ではこれまで目立った成果をあげることができませんでした。その理由は、ビジネスを遂行するための必要条件を覚悟を持って揃えてこなかったからだと、今になって気が付き大いに反省しています。現在は、国際税務を事業化するための必要条件を一つ一つ丁寧に潰していっている最中ですが、たとえ失敗したとしても、こうした私自身の姿を所員に見せることで、チャレンジできる風土を少しずつでも築き上げることができればと思っています。

吉岡:仮に失敗をしたとしても、チャレンンジしたことによって、予定とは違う形で成果につながることもありますものね。ところで、新規事業となれば、長期的スパンで取り組む必要があるため、次世代への承継も同時並行的に進めていく必要があると思います。その辺りの取り組みはいかがでしょうか。

内山:「誰にバトンを渡すか」というのは、本当に悩ましい問題です。今のところ明確にトップを任せる人材が決めきれていないので、集団で意思決定を行っていく指導体制の構築に向けて準備を進めています。所内の仕組みを整えたり、各部門が中長期を見据えた投資ができるように教育をしたりといった、まだそのような段階ですね。ただ、一つだけ言えるのは、東京共同会計が、いつまでも独立した事務所として存在していて欲しいということです。儚い夢かもしれませんが、やっぱりそんな風に思ってしまいますね。
それから、実は弊所はまだ税理士法人化していません。これだけの規模でありながら、形式的には私の個人事務所なのです。正直に言ってかなり異常な状態ですが、これには理由があります。私たちは元々金融商品の会計と税務を取り扱ってきたのですが、税理士法人という名称を持つことで、会計に関するアドバイスがし難くなる気がしたのです。同じように、監査法人にすると税金のアドバイスが難しくなる気がしたので、それも避けてきました。案件のストラクチャリングには会計・税務・法務・経済性、こういった要素のウェル・バランスを見つけるセンスが必要なのですが、少なくとも会計・税務を同時に一人のプロが偏りなくアドバイスできるという意味で、個人事務所がとても居心地が良かったのです。でも、個人事務所という形態は決してサステナブルではありませんよね。ですから、承継を見据え、今後、税理士法人化することは必須だと考えています。

吉岡:現在は東京を拠点とされていますが、地方を攻めるという発想はございますか。

内山:人口減少によって経済が相対的に縮小する以上、今日本にいる大企業や資産家の運用は今後、間違いなく海外に逃げていきます。国際税務に打って出るのは、そうやって日本から出ていく巨大資本を追いかける意味があります。一方で日本、特に地方には依然としてたくさんの人が住み、自給自足で成り立つ、弱く経済循環するマーケットが広がるはずです。私たちはこれまで、高額サービスを大企業等に売るビジネスを展開してきました。対してローカル・ビジネスは粒が小さく、値段は大きくない。でも数はたくさんあるので、独特の切り口を持ってそれを集めることがチャンスになるのではないかと考えています。元々、会計士や税理士は「ローカルに根差したビジネス」という側面が大きいですよね。今になってそうした取り組みがしてみたいと思うようになりました。

吉岡:確かに数はあると思いますが、採算を取るのは難しいのではありませんか。

内山:とても難しいと思います。採算は取れないかもしれないし、しかも派手さはなく、地道にコツコツと積み上げるビジネスですから、今後もおそらく「やる人がそんなに増えない」でしょう。だからこそ、私はやってみた方が良いと思えてならないのです。やってみた結果、きっと何かが見えてくるのではないかと思っています。

吉岡:先生のご活動が、「税理士が地方を盛り上げる」という新たなモデルになる日も近そうですね。本日は貴重なお話を聞かせていただき誠にありがとうございました。

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プロフィール
うちやま・りゅうたろう
うちやま・りゅうたろう
東京都出身、 慶應義塾大学卒業後、中央監査法人入所。 中央クーパース・アンド・ライブランド国際 税務事務所を経て、1993年、東京共同会計事務所を開業。以後、ストラクチャード・ ファイナンスやそれに係る会計・税務分野の第一人者として業界を牽引。

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