住所や名前を隠して裁判したい<企業防衛の極意vol.23>
昨今のサイバー攻撃強化で改めて注目度が高まっているセキュリティ対策。2022年4月に施行された改正個人情報保護法でも、個人情報の利用や提供に関する規制が強化されています。一方で、ネット上の情報漏洩や誹謗中傷といった事例も近年、急増しています。当コラムでは、こうしたネット上のリスクや対応策について詳しく解説します。
※本記事は、会報誌『BIZUP Accounting Office Management Report』vol.127(2024.5)に掲載されたものです。
弁護士法人戸田総合法律事務所 代表
中澤 佑一 先生
住所や名前を隠して裁判したい!
何らかのトラブルが発生したとき相手と話し合いによる解決ができない場合、現在の日本の制度では泣き寝入りをしたくなければ裁判をすることになります。裁判の訴状には原告の住所・氏名の記載が必要です。訴状は、裁判の相手方にもそのまま送付されるため、こちらの住所・氏名が相手にも伝わるということになります。
紛争は、通常はある程度の関係性のある中で発生します。そのため、裁判も住所・氏名をお互いに認識している者同士で行われるものが大半であり、住所や氏名を隠す必要はあまり考えられてきませんでした。
しかし、情報社会の発達にともない、従来の“村社会“のような範囲を大きく超えた人間関係が構築されるようになっています。インターネットトラブルや、通り魔的犯罪など、全く相手の素性もわからない人から被害を受ける場合もあります。企業活動に目を向けても、カスタマーハラスメント等の流れで従業員の写真がネット上でさらされてしまうなど、従業員個人が原告となった方が勝訴しやすい事案もあるのですが、従業員個人としてはそのような嫌がらせをしてくる相手に対して、自己の住所や氏名が知られてしまうことで、さらなる嫌がらせを恐れて訴訟をためらうということも珍しくありませんでした。
このようにこちらの個人情報を秘匿した状態で裁判をしたいというニーズを受け、令和5年2月20日に施行された新たな民事訴訟法によって、「住所・氏名の秘匿制度」が始まりました。社会生活を営むのに著しい支障を生ずるおそれがある場合には、訴状等に真実の住所・氏名の代わりに代替事項を記載することで、裁判の追行が可能となりました。
裁判で住所や氏名の秘匿が認められるためには、基本となる裁判上の請求とは別途に申立が必要です。通常は訴状を提出するタイミングで、秘匿決定の申し立てを同時に行うことになります。
秘匿が認められるための要件は「相手方当事者に知られることによって社会生活を営むのに著しい支障を生ずるおそれがある場合」(民事訴訟法133条)となっています。
典型的には、性犯罪やDV事案が想定されていますが、筆者が多く取り扱っているインターネット上での誹謗中傷被害の場合も、訴状等の公開によりプライバシー侵害に発展する可能性が高いと言え、実務上広く活用されています。経験上、裁判所は住所の秘匿に関しては、広く認める印象があり、相手に住所が知られていない状態で、何かしらの被害を受けているような事案であれば認められています。
また、氏名についても、カスタマーハラスメント事案で苗字と名前というフルネームが相手には伝わっていない場合などは本名を知られることで更なる被害を受ける可能性もあり、秘匿が認められるのではないかと思います。
なお、裁判所が秘匿制度の利用を認めないという決定をする場合もあります。この場合、当然ながら秘匿は認められず、訴訟等を進行させるには代替事項の記載を真の情報に訂正する必要が生じますが、訴訟を進めずこの段階で取り下げるという対応も可能です。秘匿が認められない結果になったとしても相手にそのまま住所・氏名が伝わってしまうわけではありませんので、この点は安心してください。
中澤 佑一
なかざわ・ゆういち/東京学芸大学環境教育課程文化財科学専攻卒業。 上智大学大学院法学研究科法曹養成専攻修了。2010 年弁護士登録。2011 年戸田総合法律事務所設立。 埼玉弁護士会所属。著書に『インターネットにおける誹謗中傷法的対策マニュアル』(単著、中央経済社)、 『「ブラック企業」と呼ばせない! 労務管理・風評対策Q&A』(編著、中央経済社)など。