戦略的な経営統合で、12拠点・650名の巨大グループへ成長
会計事務所の枠を超え、中小企業の総合型パートナーを目指す日本クレアス税理士法人グループの成長軌跡

日本クレアス税理士法人グループ 代表・公認会計士・税理士 中村 亨先生 × 株式会社ビズアップ総研 代表取締役・税理士 吉岡 高広
バブル崩壊の時代に独立、
外部環境の激変で事業モデルを問い直す
吉岡高広(以下吉岡):まずは中村先生の原点についてお聞きします。公認会計士という職業を選ばれたのはどうしてだったのでしょうか。
中村亨先生(以下中村):大学3年で就職を意識し始めた頃、大学の食堂でたまたま目にした資格専門学校のパンフレットに「プロフェッショナルな資格」という言葉が書いてあり、その響きが格好よく感じられ、公認会計士という職業への憧れを抱きました。振り返れば、これが公認会計士との最初の出会いでした。
ちょうどその頃は、バブル崩壊の入り口に差し掛かっていました。現在とは正反対で、日経平均が連日最安値を更新するような状況です。今でも鮮明に覚えているのですが、証券会社に就職した先輩から一日に何度も電話がかかってきて、話を聞くと「受話器を手に括りつけられて、何百件も電話をかけ続けないと帰れない」と言うのです。それを聞いて、正直、自分には会社勤めは向いていないと思いました。周りは大企業を目指しているように見えましたが、その大企業が音を立てて崩れていくような時代でもありました。そんな中で、公認会計士という専門資格の取得を目指すという自分の選択は、むしろリスクの高いものに思えましたが、不安な気持ちを抱えつつも将来を夢見ながら公認会計士の勉強を始めたのです。

また、父が転勤族で幼い頃から転校を繰り返してきたので、「転勤のない仕事に就きたい」という気持ちも人一倍強かったと思います。1年留年して大学5年目に合格しましたが、その年の合格者は全国で780名。いわゆるバブル崩壊後の平成不況の入り口のタイミングと重なり、ビッグ4も採用を抑制していたため、ビッグ4に入れたのは250名ほどだったと記憶しています。
吉岡:環境の変化を読んだ上での選択だったのですね。監査法人での経験を経て独立されたとき、最初の事業の柱は何に置かれたのでしょうか。
中村:監査法人時代には大企業をクライントとする会計監査業務を行っていましたが、独立後はベンチャー企業を中心にIPOコンサルティングの領域に踏み出しました。その背景には大学時代の友人が起業したり、ベンチャー企業へ転身したりする姿を見て、私自身も独立を決めたわけですから、そういったベンチャー企業を応援したい、という思いが強くありました。同時に私自身の起業の軸に「冒険したい」という気持ちがありました。ベンチャー企業の成長を支援する仕事は、そうした自分の価値観とも重なるものでした。
IPOコンサルと聞くと大きく聞こえますが、中身を分解すると基本的に3つしかありません。当時日本に導入されたばかりのストックオプションを中心とする資本政策、事業計画の策定、そして内部統制の整備です。内部統制というのは、月次決算のスピードを上げる、経理規定や稟議規定を整える、そういった地道な作業の積み重ねです。この3つをしっかり構築し、上場申請までしっかりと寄り添ってサポートするというのがその当時の仕事でした。IPOコンサルを提供する過程において、税務顧問や給与計算、株価算定、財務デューデリジェンスといった新しいサービスへの需要が比較的、自然に生まれます。私は頼まれると断るのが苦手な性分でして、求められるごとに一つひとつメニューとして加えていった結果、気づけばサービスの幅が広がっていた。それが現在の多角化した事業構成につながっています。
また、この時期、社名も「中村公認会計士事務所」から「コーポレート・アドバイザーズ」へと変更しました。「企業の参謀」という意味を込めた名前です。サービスの広がりとともに、自分たちの立ち位置を改めて言葉にした、そんな時期でもありました。
吉岡:顧客の成長段階に沿って、必要な機能やサービスが積み上がっていったわけですね。一方で、サービスの中には組織に根付いたものと、そうでなかったものもあるのではありませんか。
中村:まさにIPOコンサルは、やはり経営者とのコミュニケーションが極めて重要なポイントを果たしますので、なかなか部下の育成や、ノウハウを組織に伝承できていませんでした。また、私自身が40歳頃を境にベンチャー支援の仕事を少しずつですが、減らしていきました。40代になる前は、年上の経営者の方々が私を起用してくださっていました。ところがある時期から、お客様となる経営者が自分より若い方ばかりになっていきました。皆さん熱量があって懸命に取り組んでおられる。ただ、経営者としての経験はまだ浅い。一方の私は、ベンチャー企業をたくさん見てきたことで、その会社で次に何が起きるかをほぼ予測できてしまうのです。そうなると、私のアドバイスがどこか一方的になっていく。悪く言えば、“お説教っぽく”受け止められてしまうことがあったのかもしれません。実際、「なぜ中村先生はああいうことを言うのだろう、こんなに頑張っているのに」という反応が返ってくることが、何度かありました。IPOコンサルは、極論すれば同じ世代で、同じ船に乗っている感覚がなければ最高のサービスにはならない。自分の得意技が、そのまま組織の柱になるとは限らない—それが、この経験から得た正直な実感です。しかし、現在は若い方々との交流から学ぶことも多く、再びこのベンチャー支援の領域にも参画しています。私自身が起業した時の気持ちを忘れず、ときには思い出しながら、挑戦を続ける若い起業家たちに寄り添い、伴走することを大切にしています。
吉岡:その後、事業構成を大きく変えることになったきっかけは何でしたか。
中村:きっかけのひとつは、2006年1月のライブドア事件です。「ベンチャー・イズ・バッド」ということで、日本のベンチャー業界は一気に冷え込みました。弊社の顧客にライブドア関係の会社はなかったのですが、それでもコンサルのお客様が2割から3割減りました。普通ならそこで方向転換するのですが、そこにやってきたのがJ-SOXバブルです。2008年4月1日以降に開始する事業年度から、全上場企業に内部統制の構築・対応が義務付けられ、業界が沸き上がったのです。3,700社ある上場企業のうち、弊社も30社ほど関与させていただきました。ところが、これは導入初年度に仕事のボリュームが集中する性質のもので、しかも、もっとも神経を使う作業が初年度に集中し、2年目以降は業務量が逓減していきます。その結果、ピーク時に3億5千万円あった売上は、翌年に2億5千万円、翌々年には1億5千万円と急落していきました。追い打ちをかけるように、2008年9月にはリーマンショック、2011年には東日本大震災が相次いで発生しました。この時期の経験を通じて、安定収益の基盤を築かなければ会社を維持できないということを、身に沁みて実感しました。
会計事務所の統合で、
グループの基盤を作る
吉岡:フロー型の収益だけでは、外部環境の一撃で構造が崩れてしまうということですね。安定収益を作るために、具体的にはどう動かれたのですか。
中村:そこで着手したのが、会計事務所の統合です。ただ、当初は資金力も交渉力も十分ではなかったため、東京の自事務所にスペース的に吸収できる5名規模の小さな事務所しか買収できませんでした。複数拠点を持つ余裕はなく、必然的に相手先の事務所のオフィスを閉じてもらうかたちになります。この頃の統合の実態はと言うと、所長先生も高齢化し、引き継いだお客様も高齢化し、職員も高齢化している—そんな状態の事務所ばかりでした。正直なところ「小規模事務所の統合を続けることは効果的なのだろうか?戦略として正しいのだろうか?」と自問しながら進めていた時期もありました。ただ、ひとつだけ予想外の収穫がありました。お客様が高齢であるがゆえに、相続案件が自然と舞い込んでくるのです。そこから相続業務に本腰を入れた結果、今では年間500件を手がけるまでに成長しました。あの苦しい統合の時期に得た最大の資産は、相続業務のノウハウと実績だったと言えます。
その後、小規模事務所の統合を6件、7件、8件と繰り返すうちに、少しずつ会社の体力も付き、人材も育ってきたため、ある時、発想を転換し、相応の規模を持つ事務所を統合していく方針へ改めました。
吉岡:失敗の中に次の柱の種があった、と。方針転換の中身をお聞かせください。
中村:いえ、失敗ではなかったのですが、戦略の昇華、だと解釈しています。まず東京で、歯科を中心としたクリニック専門の15名規模の事務所と統合することができました。これが現在の医療事業部の礎となっています。続いて、大阪の医療特化事務所とも統合を果たしました。
そうした事業拡大と同時に浮上したのが、社名の問題です。「コーポレート・アドバイザーズ」という名称は、上場準備企業や上場企業の間にはある程度浸透していたものの、クリニックや中小企業にはあまり浸透していませんでした。「企業参謀」を意味する社名ですから、クリニックに響きにくかったのも無理はありません。社名変更にあたっては、「明日を創る」という意味を込めた造語「クレアス(CREATE×AS)」です。これに、日本を代表する総合的なプロフェッショナルファームを目指すという志を込めて「日本」を冠し、どんな苦境にあっても前向きな響きをもつ社名であると考えて「日本クレアス税理士法人」を掲げることにしました。
吉岡:ブランドは、届けたい層が決まって初めて決まるものなのですね。規模が広がる中で、統合先の事務所の経営管理の考え方はどう変わりましたか。
中村:当初、私は「任せる経営」を信条としていました。地域に根ざした人材に主体的に動いてもらいたい、ある程度自立した運営ができるほうが組織は強くなる、そのためには権限を委譲すべきだ—そう考えていたのです。ところが、顧客からの解約が相次ぎ、社員の退職も続くなど思うようにいかないことが続いたため、「任せっぱなしではいけない」と考え、経営の軸を大きく転換しました。「任せるけども、私自身がしっかりと方向性を示し、組織を導く」という考え方へと舵を切ったのです。その一環としてそれまで各拠点に分散していたITシステムとバックオフィス機能を本社に集約する方針を打ち出しました。また、組織の一体感を高めるための取り組みも同時に数多く始めました。全国の幹部を定期的に東京へ集めるようになり、これまで東京本社の社員だけを対象としていたキックオフミーティングについても、拠点長任せにせず自ら各地に出向いて直接想いを伝えるスタイルへと改めました。さらに全国研修の仕組みを整え、コロナ禍以降は月1〜2回のオンライン研修を継続しています。



値段ではなく、
PMIの道筋で統合先に選ばれる
吉岡:統合した拠点をひとつにそろえていく上で、順序のようなものはありますか。
中村:会計事務所の統合は拠点単位で進むため、業務の進め方も使用している会計ソフトも作業手順も、事務所ごとにまったく異なります。そのままでは、1+1が3になるどころか、2にすら届きません。私は大学院でM&Aの講座を担当しており、「1+1が2では統合の意味がない、3にならなければならない」と学生に教えてきました。しかし会計事務所という業態で本当にそれが実現できるのか、自分自身が長らく半信半疑でいたのも事実です。
今になってようやく見えてきたのが、統合には順序があるということ。最初に取り組むべきは、経営理念と組織のあり方をそろえることです。理念が現場に浸透することを土台として、初めてやり方—業務プロセスやシステム—を変えていくことができます。逆をやっても根付かないのです。理念の統合が進んだ段階で、具体的な業務の一本化に着手しています。東京と大阪はいずれも相続部門を持っているため、会計ソフト、kintoneのアプリ、業務進捗管理ソフトをすべて共通化しました。窓口は東京でも実際の処理は大阪のスタッフが担う、という分業体制をどんどん広げています。
ただし、システム面ではまだ課題が残っています。弊社が導入している会計ソフトはオンプレミスでサーバーを設置するのが原則のため、東京のスタッフが大阪のデータにアクセスすることができません。現在はクラウドサーバーへの移行を進め、全拠点のスタッフがどこからでもデータを取りに行ける環境へと切り替えている最中です。
吉岡:インフラの統合と組織のあり方の教育が両輪になっているのですね。どういう事務所と一緒になるか、基準はお持ちですか。
中村:地方であれば、30名規模を最低限の目安にしています。地方で30名以上を擁する事務所は、そのエリアでは実質的な勝ち組です。一方、首都圏については規模にこだわらず、小さくてもサテライト型の拠点を積極的に展開していく方針です。この基準の背景には、業界全体に対する問題意識があります。税理士の受験者数は減少傾向にあり、若い世代からの人気が低迷しています。人気がないのは魅力がないから、突き詰めれば給与水準が低いからです。全国に約3万ある会計事務所は、今後、業界内での分業・専門化という方向に再編されていくと見ています。お客様は「税理士に相談すれば何でも解決する」と思っておられますが、ひとりの税理士では万能なサービスを継続的に続けることはなかなか難しいです。歯が痛ければ耳鼻科ではなく歯科へ行くのに、会計事務所だけはあらゆる専門領域を網羅した総合クリニックだと思われている。こうした現実とのギャップが業界にさまざまな歪みを生んでいると感じています。たとえば相続の相談が来た際、専門性が十分でなくても、お客様との関係を手放したくないがために中途半端な知識で引き受けてしまうケースがあります。結果として「あの先生は相続には強くない」という評価につながり、顧問交代を招く。本来あってはならないことです。私たちが目指すのは、地域の各拠点が「頼りになる専門クリニック+α」として機能し、グループ全体で「総合病院」を形成するモデルです。
社労士法人が、
グループ収益の新たな柱に
吉岡:グループとしての現在の構成を教えてください。
中村:7月1日に埼玉の40名規模の事務所との統合を終え、650名体制になりました。売上は65億円を超えたところです。ざっと内訳は、税理士法人が500名で売上50億円、社労士法人が50名超で5億円、弁護士法人・コンサルティング・M&A・その他で10億円、という構成です。東京の管理部門だけで30名ほどを擁しており、管理機能の厚さもグループの特徴のひとつです。これまでに統合した事務所は25に上ります。地方の統合先として目安にしている30名規模の事務所は、おおむね300〜500件のお客様を抱えています。そのうち上位1〜2割のお客様から、国際税務、移転価格、組織再編の特例法、M&Aといった高度な相談が寄せられます。こうした案件には東京本社のスペシャリストが即座に対応できる体制を整えており、地方拠点の専門クリニックと東京本社の総合病院機能が連携するモデルが、ここでも機能しています。現在、特に伸びが顕著なのは社会保険労務士法人と相続部門です。今後の成長をけん引する二本柱として、さらなる強化を図っているところです。
吉岡:社労士法人が伸びた要因はどこにありますか。
中村:社労士法人を設立したのは2012年のことですが、長らく鳴かず飛ばずの状態が続き、2020年時点でも5〜6名体制でした。当初は税理士法人のお客様、つまり中小企業が中心だったため、手間がかかるわりに、収益効率が上がらなかったのです。
転機となったのは、マイナンバー制度への対応です。マイナンバーの取得・保管・廃棄といった管理業務は、大企業でも適切に対応できていないところが少なくありませんでした。霞が関ビルディングにオフィスを移したことも追い風になり、それを境に大企業からの問い合わせが増え始めました。1,000名規模の給与計算や社会保険手続きに対応できる社労士事務所はさほど多くなく、弊社は効率的に処理できる仕組みを構築することができたため、競争力もあります。1,000名規模の企業であれば年間報酬も大きくなります。そうした大口顧客をこの5〜6年で十数社獲得することができました。継続的なセミナー活動による認知の積み重ねも大型の受注につながっていると考えています。このビジネスが構造的に強いのは、価格交渉が不要なことです。税理士法人で月額5万円の顧問料を6万円に引き上げるのは容易ではありませんが、社労士法人は従業員数の増加に連動して報酬が自動的に増えていきます。だからこそ、最初の単価設定が経営上の絶対条件になります。お客様の規模感も、ひとり当たりの単価も、実は税理士法人より社労士法人のほうが高い水準にあります。税理士業務の高度化と並んで、社労士法人はグループの収益構造を底上げする存在になっているのです。

理念の浸透を土台に、
業務プロセスをそろえる
吉岡:社労士法人、相続、そしてグループ全体の拡大—いずれも、M&Aによる統合が成長の軸になってきた。その進め方自体も、この10年で変わってきましたか。
中村:変わりました。振り返ると、第一フェーズが小規模事務所の吸収統合、第二フェーズが大型事務所との統合、そして現在が第三フェーズです。
第三フェーズの根本方針は、「絶対に値段で釣らない」ことです。買収金額を意識すると、統合後の経営に重い負担がかかります。結果として、良い成果につながらない、と考えています。その経験から辿り着いたのが、「価格では二番手でも三番手でも構わないから、PMIの道筋をしっかり示す」という考え方です。クレアスの経営理念、参加してもらう研修の内容、グループとしての取り組み—そういったことを丁寧にお伝えし、「それならクレアスがいい」と思っていただくことを何より重視しています。価格だけではなく、私たちの考え方やあり方に共感していただいた上で、相手自身に統合を決断していただくことが理想です。
値段だけでは測れない価値観や将来像を共有できると感じてもらうこと、そして私たち自身も、同じ価値観を持ち、同じ方向を目指せる相手と統合することが重要だと考えています。
吉岡:統合後、先生方はどういう立場に入られるのでしょうか。
中村:統合先の先生がすぐに引退されるケースもあれば、統合後も数年間残り、拠点運営に力を貸していただくケースもあります。その後の拠点長については、拠点内の部下の方がリーダーを引き継ぐ場合と、東京本社から人材を派遣する場合のふたつがあります。ただ、弊社の特徴として、二代目の先生がそのまま拠点長を引き継ぐケースが多く見られます。全員が同じオープン型の研修を受けるため、グループ共通の言語と価値観が醸成されていきます。また、経営理念を記したクレアス手帳を毎年更新し、「クレアスとは何か」を全員が自分の言葉で語れるようにする取り組みも続けています。
拠点長の意識の9割は、自分の拠点の運営に向いているのが自然です。しかし私が目指しているのは、その拠点が有機的につながった「バーチャルなグループ本社」の形成です。クレアスはサービスの器であり、プラットフォームでありたい。お客様へのサービスを継続できる体制をどう整えるか?この事を最優先に考えながら、次のステージを描いているところです。
吉岡:理念を軸にした経営に切り替えられた背景をお聞かせください。
中村:過去に「理念経営を導入すべきだ」と助言してくれる友人が何人もいました。しかし面倒に感じていたこと、そして、それなしでも会社が成長していたことから、その言葉は長らく耳に入りませんでした。
転機は、創業20年を迎えて社員が300名になった年に訪れました。父が亡くなったのです。転勤族のサラリーマンとして生きた父が相当な財産を残してくれていたことを知ったのは、亡くなる1か月前のことでした。「使ってくれればよかったのに」—そう思いながら、自分の父は本当に幸せだったのだろうかと、考えずにはいられませんでした。同じ年に、東京の全社員を集めて「10年後には1,000名を目指す」と自信満々に発表しました。ところが、誰も喜ばない。みんな疲れた顔をしているのです。そのとき初めて、自分の経営の何かが根本的にずれているのかもしれないと感じました。そこから3年半、外部の研修に通い続けました。学んだのは、人と良い人間関係を築く方法と、目標を達成するための原理原則です。中でも深く刺さったのが「インサイドアウト」という考え方でした。良い人間関係はまず身近な人から始まるという原則で、家族との向き合い方が変わり、夫婦喧嘩がまったくなくなりました。良い人間関係が生まれると協力者が増え、協力者が増えると、自分ひとりでは成し得ないスケールの大きいことができるようになる。私のような我の強い人間には、この学びが効果的でした。自分の我で経営するのではなく、自分の上に原理原則を置く。「君、君足らずんば臣、臣たらず」という言葉がありますが、人がついてきたいと思えるトップにならなければ、本当の意味で組織は動かないと実感しています。
吉岡:理念を拠点に展開するには、受け皿となる人材が必要になりますね。
中村:本当にその通りです。30名規模の事務所であっても、「うちにはたいした人材がいなくて」と先生がおっしゃるケースが多いと耳にします。しかし私の目から見れば、人材はいるのです。一人ひとりと面談してみると、それがよくわかります。先生が長年押さえてしまっているという要素があり成長機会を失っているケースが多いのではないか?と考えています。その人本来のポテンシャルが発揮されていない。統合のもうひとつの、表には出ないミッションは、従業員に成長の機会を与え、成長してもらうことだと思っています。
人材の育成には、相当の時間とお金をかけています。私自身講師を務める1時間のオンライン研修を年間30〜40回実施しており、テーマは会社の方向性とリーダーのあり方です。全社員650名のうち毎回100名ほどが参加するので、参加率としては高い水準です。ただし、毎回必ず内容を変えて魅力のある研修にすることを心がけています。「出なさい」と義務にしてしまった瞬間に研修は形骸化する。ついつい出たくなる、面白いと感じてもらえるものでなければ、本当の意味での教育にはならないと考えています。
AIが変える会計業務と、
これからの事務所の役割
吉岡:1,000名という目標は、現在どのようにご覧になっていますか。
中村:1,000名という目標は今も掲げていますし、下ろすつもりもありません。ただ、正直に言えば、すでに時代遅れになりつつある目標だと自覚しています。5月の全国幹部連絡会でも、「この目標は時代遅れだと思う。それでも今は掲げ続けよう」と話しました。人数という誰にでもわかりやすい合言葉として、組織を束ねる旗印の役割を果たしているからです。業界の最大手を見ていると、業務処理を担うスタッフは今後不要と判断され、200名単位で人材が余剰になるという予測が現実味を帯びてきています。AIが会計業務のプロセスに深く入り込んでくるからです。そうなると、「顧客対応」という言葉の中身そのものが変わります。これまでは、資料の下処理や不足書類の依頼も顧客対応の一部でした。しかしこれからは、数字の意味を説明し、経営課題を提案できる人材でなければ、顧客対応とは呼べない時代になる。だからこそ、1,000名を達成した翌年の目標を800名に設定するかもしれない、そのためのKPIをこれから設計しよう—そういう話を全国会議でしました。記帳代行はいずれ実質的に無償になり、申告書も税理士が一から作る時代ではなくなる。最終的に残るのは、それを読み解いてお客様に説明し、次の一手を提案する仕事だけだと見ています。
吉岡:説明し、提案する仕事が残るとすれば、具体的に何を商品として用意していくことになりますか。
中村:時系列で考えると、過去の数字を処理することの価値はなくなっていく。となれば、提供すべきは未来に関わるサービスです。中小企業の経営者が最も不安を抱えているのは将来のことですから、未来に向けた提案にこそお金を払っていただける。保険や不動産の売買(これらはバランスシートの組み換えというテーマになりますね)、経営計画の策定、DXコンサルティング、補助金・助成金の活用支援社外CFOとして経営に伴走する形も考えられます。相続も、相続税の申告よりも事前の相続対策とシミュレーションに軸足を移していくことになります。
一方、足元の業務を見ると、会計事務所が今もっとも手間取っているのは、資料を電子化して会計ソフトに取り込む作業です。ここはいずれ優れたツールが解決してくれると見ています。本当の問題は、その手前—お客様から資料を回収するプロセスで、ここはまだ解消できておらず、課題は多いと考えています。また、チェック業務や申告書のレビューにもAIは否応なく入ってきます。だからこそ、業務プロセスの設計が経営の鍵になります。便利そうに見えるからといって中途半端なツールに飛びつくと、後で大変なことになる。今はまだ、しっかり見極める段階だと思っています。
一般企業との競争を見越し、
総合型サービス業へと進化
吉岡:最後に、サービスの中身が変わり、プレイヤーも多様化する中で、業界の競争環境をどう見ておられますか。
中村:「業際」がなくなりました。大手の会計ソフトベンダーが会計事務所を買収し、ビジネスツールを提供する会社が社労士事務所をかき集めている。業務運用を軸にした会社が上に来るのか、ITを軸にした会社が上に来るのかという違いはありますが、いずれにせよ、競合は会計事務所の枠を超えた存在になっています。
採用においても同様で、中途はもちろん、新卒市場でさえライバルはもはや会計事務所だけではなく、一般企業との競り合いになっています。ただし、すべてがライバルと言えばそうなのですが、ライバル同士で消耗戦を続けていても業界の未来は拓けない。むしろ協力し合える場が必要で、一般社団法人会計事務所連携協議会のような横断的なプラットフォームをもっと機能させていくべきだと思っています。弊社も現在「日本クレアス税理士法人グループ」という社名を掲げていますが、「税理士法人」という看板が間口を狭めているとも感じていて、グループ名の見直しを考え始めています。

会計事務所のあり方が中小企業への総合型サービス業へと変わっていくのであれば、「会計」という言葉に縛られる必要もない。中小企業が弱い領域、たとえば広報やSNS発信といったサービスに踏み込んでいくことも選択肢のひとつです。枠組みにこだわるつもりはありません。
吉岡:枠組みにこだわらない、という言葉が今日の話を象徴しているように思います。初期の統合で得た多くの学びを糧に事業を拡大し、社名を変え、理念を軸に組織を作り直し、そして今また業界の常識そのものを問い直している。変化を恐れず、むしろ変化の中に次の一手を見つけてこられた20数年だったのではないでしょうか。本日は貴重なお話を、ありがとうございました。
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