東京から山形へ。Uターンで痛感した地方の壁
井上哲寿が語る故郷の活性化を狙うDX経営とは Vol.1

井上公認会計士事務所 井上 哲寿
「税理士の仕事は、税金の計算をして終わりではない」。山形県の公認会計士・税理士、井上哲寿先生はそう語る。東京でのキャリアを経て地元に戻り、地方ならではの困難に直面するも、DXとクラウド会計を武器に状況を打開。業務効率化で生まれた時間を使って、クライアントに寄り添うコンサルティングに注力している。単なる事務所の成長にとどまらず、社員の自主性を育む組織改革や、都会的な職場環境の整備を通じて、故郷の活性化というビジョンを追求する井上先生のこれまでとこれからを追った。
税理士の仕事で得たやりがい
経営者と一心同体で歩む喜び
東京の大手監査法人から、故郷である山形での独立開業へと
キャリアチェンジされた背景について、お聞かせいただけますでしょうか。
監査法人では約8年間勤め、33歳の時に山形事務所への転勤を志願しました。長男だったこともあり、いずれは地元に戻り独立開業したいという思いが以前からあったので、ちょうど良いタイミングだと考えたんです。 当時、監査法人で働いていた中で感じていたのは、お客様目線で考えることが難しいということでした。監査という立場上、不正を見抜くことが最優先だったため、クライアントの希望に沿えないことが度々ありました。例えば、クライアントから「これをやっていいですか?」と相談されても、監査の視点では「ダメです」と答えなければならないことが多く、それが監査法人の仕事だと頭ではわかっているものの、なかなか受け入れられない自分にも気づいていました。

また、大手の監査法人だったため大企業のクライアントが多かったこともあり、どうしても一人ひとりのお客様に寄り添ったサポートを行うことが難しかったなというのが本音ですね。
当時と比べて現在の税理士としての仕事には、どのような違いを感じていらっしゃいますか?
税理士の仕事は、クライアントに寄り添い共に喜びを分かち合えるので、とても大きなやりがいを感じています。売上が伸びたら一緒に喜び、苦しい局面では一緒に頭を悩ませる、そんなクライアントとの一体感が得られる仕事です。単に税金の計算をするだけでなく、事業の成長をサポートすることで、経営者のパートナーとして一緒に未来を創っていくことができる。
税理士は、自己責任は伴いますが、クライアントのためならば自分の思うように仕事ができるというのも、私には非常に合っていたのだと思います。
開業初期の苦闘とDXへの目覚め
組織化で気づいた「ありえない時給」
山形で開業された当初、特に苦労されたのはどのようなところでしたか?
やはり、地域社会の閉鎖性ですね。ほとんどの契約関係は昔からの付き合いで成り立っており、新しく参入するのは本当に大変でした。地域に溶け込むために、商工会議所をはじめとした経営者の集まりに積極的に参加し、交流会にも顔を出しましたが、すぐに仕事に結びつくわけではなく、なかなか結果にはつながりませんでした。
そこからどのように顧客を増やしていったのでしょうか。
開業したばかりの頃は、新参者である自分には「値段くらいしか強みがない」と思い、経験を積むための「勉強代」として低価格な料金で仕事を受けていました。それでも自分一人でやっているうちは、時間を度外視し夜遅くまで働けばなんとか回せていました。
しかし、開業から2年後の2014年頃にパートスタッフを1名採用して人件費が発生し始めると、安価な仕事ばかりでは採算が合わないことに気づいたのです。換算してみると、自分がやっていた仕事がありえないぐらい安い時給だったことを改めて痛感しました。
これを機に、組織として継続していくには非効率な働き方から脱却する必要があると考えるようになりました。そのタイミングで舵を切ることになったのが、クラウド会計の導入から始まるDXです。
地域での差別化戦略
顧客拡大の裏側で起きていたこと
クラウド会計を取り入れるにあたり、何かきっかけはあったのですか。
開業2年目、ちょうど人手不足に悩んでいた時期に、当時入居していたレンタルオフィスで知り合ったITコンサルタントの方から「クラウド会計ソフトがこれからは伸びると思うから、使ってみた方がいいよ」と勧められたのです。当時の山形ではクラウド会計を扱う事務所は皆無に等しく、まだ競合がいませんでした。つまりこの地域でクラウド会計を導入し推進することは、差別化を図るためのツールになると直感しました。
実際に、当時使用していた会計ソフトのホームページに「山形県で対応している事務所」として当所が掲載されたことで、若い経営者の方からの問い合わせが急増しました。多い月には4〜5件の問い合わせがあり、クラウド会計が顧客獲得の大きな武器となることを感じました。
まずは顧客側のニーズという側面から、クラウド会計の導入を進められたわけですね。

クラウド会計を希望する若い経営者層を中心に、順調に顧客は増えていきました。地方にいる、新しい技術を積極的に活用したいと考える若手の経営者をサポートする税理士がほとんどいなかったところに、当所が先陣を切って導入したことで、新しいことに挑戦したいという意欲的な経営者の方々からのお問い合わせにいち早く対応することができました。一方で、増員とオフィス移転を繰り返す中で、会計ソフトはクライアントに合わせてさまざまな種類を使っている状態に。事務所規模を拡大する中で、どうしてもついて回ってくるのが事務所内の生産性をいかに向上させるかという問題でした。
事務所におけるDXも必要になってきたわけですね。
当初はクライアントに応じて複数のソフトを使っていたことに加え、スタッフが使いたいソフトを自由に使ってもらっていましたが、それでは生産性の問題が解決しないと痛感し、2021年頃にマネーフォワードにほぼ一本化しました。マネーフォワードは、会計知識の有無にかかわらず使いやすい中立的な設計で、所内での導入が進めやすいという利点があったことに加え、担当者の方が親身になってサポートしてくれたことも大きな後押しとなり、さまざまなソフトを併用していた中で、完全移行を決めました。
導入当初は、慣れない操作のため、スタッフの戸惑いの声もありました。そのため、必ず便利になるからとスタッフには伝えつつ、スタッフのモチベーションを維持するため、マネーフォワードの最上位検定である「クラウド経理財務領域マスター」の取得を推奨し、取得者には基本給をアップする制度を導入するなど、具体的なインセンティブも提示しました。
効率化の先に見据えたもの
「人間にしかできない」コンサルへ注力
DX推進によって、事務所の業務内容はどのように変化しましたか?
マネーフォワードの各種クラウドサービスを連携させることで、手作業や入力作業を大幅に削減することができました。例えば、給与計算をしたら自動的に会計ソフトに連動したり、レジの売上データが自動的に仕訳として入ってきたりといったように、手作業での入力がほとんどなくなりました。これによって、これまで手入力をはじめとした雑務に追われていた時間を、クライアントとの対話に割けるようになったのです。記帳代行から脱却しコンサルティングへ注力しようという思いが強まりました。

というのも、昔ながらの会計事務所のやり方は、数字を作ることに膨大な時間がかかってしまっており、顧客サポートとしてはそこで終えてしまうことが多かったのが実情です。けれども、これからはAIやクラウドの進化で、いずれ税金の計算や記帳代行は自動化され、価格で勝負するだけのサービスになってしまう恐れがあります。税金の計算だけをやっている税理士は、存在意義を失ってしまうのではないか。そんな強い危機感がありました。
この危機感をバネに、DXで効率化して浮いた時間を、「人間にしかできないこと」に振り向けるべきだと考えたわけです。
DXを推進する中で、経理業務のアウトソーシング事業も立ち上げられています。
DX、リモートワークをフル活用したアウトソーシング業務はこれからすごく伸びるのではないかと感じたこともあり、DX化に伴う形で、経理のアウトソーシング業務を新規事業で始めました。これは外部のコンサルティングを受けながらのスタートでした。たまたま別の用途で銀行から借りたものの、結局使うことのなかった500万円が手元に余っており、そのお金を充てた形です。
人手不足で経理業務が回らない全国の中小企業を対象にしたサービスで、DXを活かしたフルリモート形式で業務を提供する点が訪問型の代行との大きな違いであり、かなりニーズがありました。
業務効率化によって生まれた時間は、具体的にどのように使われているのでしょうか。
我々が業務効率化に取り組む最大の目的は、クライアントである経営者の方々に還元し、「経営のための時間を確保してほしい」という思いがあるからです。
そのために、まずはクラウド会計や周辺ツールを活用し、お客様側の経理業務の手作業を大幅に減らします。その上で、我々が毎月お会いする際には、過去の数字の確認だけでなく、シミュレーションソフトなどを使いながら、「将来について一緒に話し合う」というところに目標を置くようにしています。
経営者の方からは「損益計算書を見ると黒字なのに、なぜかお金が全く残らない」といったキャッシュフローに関する悩みや、「社長の給料を上げたいのだけど、実際に上げたらどうなりますか?」といったシミュレーションの依頼なども増えました。こういった対話は経営者の方にとっても価値があるものと捉えていただけ、結果として単価を高く設定できる大きな強みになっています。
記帳代行のような単純作業は、価格競争に巻き込まれやすく、経営者の側も「もっと安くならないか」と交渉しがちです。

しかし「経営の未来を考える」というサポートは、企業の成長に直結する価値提供ですから、顧客満足度も高く、その分高めの顧問料をいただけているというのが実情です。以前の非効率な薄利多売の経営から脱却し、事務所の成長に繋がっていると感じます。
| プロフィール |
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| 井上公認会計士事務所 井上 哲寿(いのうえ あきひさ)
公認会計士・税理士。2004年に公認会計士試験に合格し、東京の大手監査法人で約8年間勤務した。2012年7月、地元山形市で井上公認会計士事務所を開業。
経営理念は「世界一のNo.2」であり、中小企業の経営者と共に問題解決に取り組むことを業務の柱とする。地方の閉鎖的な環境や古い慣習を打破するため、「変化することをおそれず、変化しないことをおそれる」をミッションに掲げ、地方のDXを牽引中である。 |

