最低賃金引き上げで日本の経済はよくなるか
2025年度、最低賃金の引き上げ幅は過去最大の63円となり、全国平均は1,118円に達する見込みです。これは単なる数字の話ではありません。時給が数十円動くだけで、事業者の損益計算書にも、従業員の家計簿にも波紋が広がります。
人手不足や物価高騰を背景に、政府は賃金引き上げを経済活性化の起爆剤と位置づけていますが、その効果は一様ではありません。お金を扱う職務のものとしては、この動きを単なるコスト増として受け止めるのではなく、顧問先や経営者にとっての経営改善や制度活用の契機に変える視点が必要です。
本稿では、今回の改定を歴史的経緯と制度背景から紐解き、経済・実務への影響、そして今後の方向性を考察します。
目次
最賃引き上げはどのような時に起こるか

最低賃金は、労働者の生活の安定と公正な競争条件を守るために設けられた制度です。毎年、中央最低賃金審議会が全国的な引き上げ目安を決定し、各都道府県の地方審議会が地域の実情を踏まえて具体的額と発効日を定めます。
引き上げが行われるきっかけとして考えられるのは以下の三点です。
- 物価上昇:生活必需品の価格が上がれば、最低賃金も連動的に見直されます。
- 人手不足:特に地方や特定産業では労働力確保が難しく、賃金水準の底上げが必要です。
- 政策目標:近年は「全国平均1,500円」という政府方針が掲げられ、インフレ対策と賃上げ促進が一体で進められています。
今年の6%超という上げ幅は、この三つが同時に働いた結果です。
最低賃金引き上げの経緯
今回の最低賃金引き上げ(全国平均で1,118円、上げ幅63円、賃上げ率約6%)は、制度が始まって以来の大きな引き上げです。この数字に至るまでには、現場の声と政策の思惑が交錯した、少し長い道のりがありました。
春闘と政策が絡む、賃金の流れ
日本の賃金改定は、毎年春の「春闘」から動き出します。大手企業と労働組合が交渉し、定期昇給やベースアップの水準を決め、この結果がやがて中小企業に波及し、最低賃金の議論にも影響します。
しかし近年は、それだけではありません。岸田政権は「最低賃金を全国平均で1,500円に」という高い目標を掲げ、政策の側からも賃金を押し上げる力が加わりました。
インフレ対応、人手不足対策、内需拡大という複数の目的を背負った“政策ドライブ”がかかっているのです。
社会の現実が背中を押した
背景には、少子高齢化による人手不足と、物価高による家計負担の増大があります。地方の中小企業では、求人を出しても人が集まらず、やっと雇った人材も条件の良い所へ流れてしまう。賃金の底上げは、雇用の維持に直結します。
一方で家計は、物価上昇が賃金の伸びを追い抜く状況が続いています。2025年6月の実質賃金は前年同月比−1.3%。名目では2.5%伸びても、物価3.8%に飲み込まれ、生活感覚としては「楽になっていない」という声が聞かれます。こうした現実が、「最低賃金をもっと上げるべきだ」という世論を後押ししました。
審議の現場
今回の目安は、厚生労働省の「中央最低賃金審議会」の下に置かれた「目安に関する小委員会」で練られました。
7月11日の初回から、22日、24日、29日、31日、8月1日と、短期間に6回の会合。そして最終の第7回は8月4日。労働者代表、使用者代表、公益委員が、統計や物価動向の資料を広げ、引き上げ幅と支援策の落とし所を探ってきました。この小委員会でまとまった数字は、同日開かれた第71回「中央最低賃金審議会」で正式に答申されたのです。
目安はAランク63円、Bランク63円、Cランク64円という、全国ほぼ横並びの大幅アップです。ここから先は各都道府県の「地方最低賃金審議会」に舞台を移し、地域の事情を加味しながら秋の発効に向けた最終調整が進む予定になっています。
連続更新された「過去最大」
実は、昨年度(2024年度)も「過去最大」と報じられた年でした。上げ幅は51円で全国平均1,055円。しかし、その記録はわずか1年で塗り替えられます。2022年度は31円、2023年度は43円、そして2024年度は51円、今年は63円——ここ数年のカーブは急傾斜です。かつては10円台の上げ幅が普通だったことを思えば、時代の変化を強く感じます。
政治のタイミングと前倒し
当初、政府が掲げていた「1,500円」の達成時期は2030年代初頭とされていました。それが今回、2020年代末への前倒しを示すようなスピード感となりました。さらに今年は、夏の国政選挙で物価対策や生活支援が争点となり、賃上げ方針は政治的にも“生活に寄り添う”姿勢を示すメッセージ性を帯びました。結果として、引き上げ幅は経済政策と政治日程の双方に合致したものとなったのです。
海外との比較という副作用
今回の引き上げで、日本の最低賃金は一時的に韓国を上回る見通しとなりました。韓国は2025年度が前年比2.9%の上昇にとどまり、日本の6%はそれを大きく上回ります。日韓逆転は象徴的で、OECDの公式資料などからは「日本の賃金底上げが加速している」との印象をうけます。中央値賃金比は依然として47%程度と低めですが、その差を詰めにいく動きが国内外から注目されているのです。
最低賃金引き上げについての見方

最低賃金の引き上げは各方面にいろんな影響を及ぼします。肯定的に受け止める人もいれば否定的に受け止める人もいます。ここでは労働者側の見方と企業側の見方を紹介します。
労働者側の見方
最低賃金の引き上げは、低所得層にとって直接的な生活改善につながります。
例えば時給が50円上がれば、月100時間働く人で5,000円の増収。可処分所得が増えれば消費が活発になり、地域経済にもプラス効果が期待されます。経済学的にも、所得の限界消費性向が高い層ほど、賃上げ分が消費に回りやすいとされます。
しかし注意すべきは物価の動きです。2025年6月時点で実質賃金は前年比−1.3%と6か月連続でマイナス。名目賃金が上がっても物価高がそれを上回れば、生活実感は改善しません。「額面は増えたのに余裕がない」という声が現場から聞こえるのはそのためです。
企業側の見方
一方、企業にとって最低賃金引き上げは、賃金テーブル全体の見直しを迫る出来事です。最低賃金ぎりぎりの従業員だけでなく、その上の等級の賃金も連動的に引き上げる必要が生じ、結果的に総額人件費は想定以上に膨らみます。
また、扶養の壁(106万円・130万円など)に近いパート従業員のシフト調整や、社会保険加入の増加に伴うコスト負担も避けられません。価格転嫁が難しい業種や地域では、利益率低下が経営の重荷となります。
多くの企業は、業務効率化や生産性向上、そして価格交渉力の強化を課題とせざるを得なくなるでしょう。
賃金と経済
では、賃金の変化は経済にどのような影響を与えるのでしょうか。ここでは、賃金が経済に与える影響についての見方を紹介します。
賃金が経済に与える影響
賃金の上昇は、消費・生産・雇用の好循環を生む可能性があります。厚生労働省の推計では、賃金が1%上昇すると生産は0.22%、雇用は0.23%増加するとされています。
しかし、これはあくまで全体平均の話。個別企業レベルでは、人件費増加が先行し、売上や利益への反映は後追いになるケースが多いです。そのため、資金繰りの谷を埋めるための短期的な対策と、中長期の成長戦略を同時に進める必要があります。
名目賃金と実質賃金
賃金の議論で重要なのは、名目賃金と実質賃金の違いです。名目賃金は単純な金額の上昇を示しますが、実質賃金は物価変動を考慮した指標です。名目が伸びても物価高に追いつかなければ、実質では減少します。
2025年6月の実質賃金は前年同月比−1.3%で、物価上昇率3.8%に対し名目賃金の伸びは2.5%。この差が埋まらない限り、賃上げ効果は家計に実感されません。
これからの日本の賃金政策は・・・
政府は、全国加重平均1,500円という最低賃金の中期目標を掲げ、引き上げペースを加速させています。2025年度の全国平均は1,118円と過去最大の上昇幅を記録し、今後も年率3〜5%程度の引き上げが続く見通しです。
石破政権は「賃上げ・価格転嫁・生産性向上」を三本柱とする中小企業支援策を進めており、最低賃金改定と同時に省力化投資補助や価格交渉環境の整備を拡充する方針です。
また、OECDが指摘する中央値賃金比(Kaitz指数)47%を先進国並みの水準に近づけるため、地方と都市の賃金格差是正も課題に挙げられています。
春闘による大企業の賃上げが中小企業に波及するまでの時間差を短縮し、賃金上昇の全国的な定着を狙う政策も強化される見込みです。物価上昇率を上回る賃金増を実現し、実質賃金をプラスに転じさせることが当面の最大の目標となります。
まとめ
今回の最低賃金引き上げは、過去最大の幅と速さを伴うもので、経済へのインパクトは小さくはありません。
しかし、労働者にとっては可処分所得の増加というメリットがありながらも、物価高が続く限り実感は限定的になるという見方が有力です。企業にとっては総額人件費や社会保険料の負担増という課題もあり、対応策なしでは経営を圧迫します。
日本経済を本当に良くするためには、賃上げと同時に生産性向上や価格交渉力の強化、業務改善支援などの施策を組み合わせる必要があります。数字を扱い、経営者に助言する立場の人は、賃上げの影響を数値化し、経営に生かす設計図を顧問先と共に描くことが求められます。
「上げただけ」では経済は良くならないともいえるでしょう。しかし、上げたことを起点に設計すれば、未来は確かに変わります。
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